見る・学ぶ

坂本龍馬之像

坂本龍馬之像

 風頭公園からほど近い伊良林で日本初の商社「亀山社中」を設立するなど、公園周辺は龍馬とのゆかりが深いことから、公園内の高台に港を見下ろす龍馬像が建立されています。「龍馬の銅像建つうで会」の呼びかけで全国の有志の募金により平成元年5月21日に建立されました。製作者は長崎市在住の彫刻家、山崎和國さんで、全身像3.2メートル、ブロンズ製。遠く長崎港を見つめる龍馬の姿は、まるで激動の幕末の未来を案じているかのようで感慨深いです。夜にはライトアップもされており、龍馬像の近くから稲佐山に向かってカラフルな光を放つ器具が取り付けられ、夜間遠くからでもこの位置を確認することができます。

展望台

展望台からの景観

正面に長崎のランドマークである稲佐山(標高333メートル)を捉え、南北に伸びる長崎港と足元に広がる中心市街地の町並みを一望できる絶景スポットです。西向きで稲佐山に落ちる夕日は美しく、トワイライトから夜にかけて世界新三大夜景となった1,000万ドルの長崎夜景を楽しむことができます。

上野(彦馬)家墓地【市指定史跡】

上野彦馬の墓

 風頭公園内の坂本龍馬之像のほど近くに上野家の墓があります。上野彦馬は日本近代写真技術の発展に貢献し、日本初の商業写真家として有名です。墓地は長崎市の史跡に指定されています。。

唐通事林・官梅家墓地【市指定史跡】

 福建省福州府福清県の人の林公琰(りんこうえん)が日本に渡来し、大村藩の森氏の娘と結婚し生まれたのが林道栄(りんどうえい)で有名な大通事となった。学問が深く、詩文に長じ、書を能くし、語学も抜群であった。その子三郎兵衛が早く死んだので、孫の勝五郎の後見として官梅三十郎(かんばいさんじゅうろう)をつけた。官梅三十郎は平井仁右衛門の子で三郎兵衛の娘婿である。三郎兵衛の子が林家を継ぎ、三十郎の子孫が官梅家となった。この両家の墓がここに左右に並んでいる。林家が一時鹿児島に行き断絶したようになったのを游龍彦十郎(ゆりゅうひこじゅうろう)が林道三郎を立てて林の本家を継がせようとしたときはもう幕末が迫っていた。【長崎市ウェブサイトより転載】

阿蘭陀通詞 加福家墓地【市指定史跡】

加福家は代々阿蘭陀通詞を継承した家柄である。始祖吉左衛門は初めポルトガル語の通訳として勤めていたが、ポルトガル人の国外退去に伴って阿蘭陀通詞へと移行した。寛文4年(1664)小通詞となり、その後寛文8年(1668)には、大通詞に就任している。阿蘭陀通詞の大役である江戸番通詞も勤めたが、元禄2年(1689)江戸参府の際、72歳で没している。
加福家は、吉左衛門の後、明治維新に至るまで八代にわたって阿蘭陀通詞を勤めている。吉左衛門の他に3代喜七郎、4代喜蔵、5代安次郎及び6代新右衛門がそれぞれ年番大通詞に就任している。墓地内には、大小併せて29基の墓碑があるが、中には寛文(1661~72)年間の墓碑もほぼ原型のまま残っていることもあり、大変貴重であるといえる。【長崎市ウェブサイトより転載】

石切場

江戸時代、風頭山は石切場として栄え、中島川の石橋群や諏訪神社の石段など、長崎の歴史的な建造物の多くにこの場所で切り出された石が使用されました。石が切り出された場所は壮観な崖となり、当時のノミやクサビ(石を割るための道具)の跡を見ることができます。崖を利用してボルダリングを楽しむ人などもいます。2019第21回長崎市都市景観賞(テーマ部門)を受賞しました。

グラウンド

ちょっとした運動ができる土のグラウンドがあり、近所の方がよくウォーキングしています。トイレも近くにあり便利です。

風頭大権現

 遊具広場に隣接して神社があります。大理石の立派な狛犬や連続する鳥居など、見ごたえのある空間となっています。

遊具広場

子供向けの遊具や公衆トイレ、東屋、ベンチがあります。

ハタ揚げ広場

 公園入口から小高い丘を登ると眺めの良い広場になっており、長崎名物のハタ揚げを楽しむことができます。芝生が広がっていて日あたりもよく、ピクニックに最適のロケーションです。

司馬遼太郎の碑

坂本龍馬が日本で最初に創設した商社「亀山社中」の遺構の再生活用を中心に地域の歴史を活かした街づくりに取りくむ「亀山社中ば活かす会」が、司馬氏と龍馬にゆかりの深い長崎の地に、司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑 を平成10年2月1日建立。 碑文は、「竜馬がゆく」の怒涛篇からの一節であり、竜馬が薩摩から船で長崎港に入ってくる船上で、後の外務大臣・陸奥陽之助(宗光)に語りかける場面の長崎が「希望」の地であり「やがては日本回天の足場になる。」という表現は、竜馬と長崎の強い絆、そして幕末史上における長崎の歴史的意義を見事にとらえており、常に前向きで逆境に負けない竜馬の生きる姿勢、そして目標への限りない遺志が強く感じられる名文です。(長崎市ウェブサイトより)